2008年04月10日
Jリーグブームの沈静化
クラブ経営の危機には機器を感じられずにいられないようですよ。
Jリーグは1996年に「百年構想」を発表する。「企業スポーツの枠内から脱し、地域に根ざした新しいスポーツのあり方を模索する」という理念を掲げ、積極的にJリーグクラブ数を拡大して、最終的には全国に100チームのJリーグクラブを作ることを目標とした。
この頃からブームの沈静化が始まる。観客動員数も急激に減少し、1994年に19,598人を記録した平均観客動員数も、1997年には10,131人と僅か3年で半分近くまで減少した。
さらに1998年には、横浜マリノスと横浜フリューゲルスの合併(事実上のフリューゲルス消滅)が発表される。横浜フリューゲルスという、当時のJリーグクラブの中では比較的人気があり、成績も上位に定着しつつあったクラブの消滅は、Jリーグの理念と日本社会のスポーツに対する考えとの乖離が生んだ悲劇といえる。横浜フリューゲルスの事実上の後継として横浜FCが発足したが、多くの横浜フリューゲルスサポーターやサッカーファンはこの事件に失望してスタジアムに戻って来なかった。
一時期、このような深刻な危機を迎えたJリーグではあったが、フランスW杯への日本代表の出場と日韓共催W杯の開催決定を契機として観客動員数は緩やかながらも復調の兆しが見え始める。
1999年にはJリーグ加盟を希望するアマチュアサッカークラブの増加に応えるべく2部制を導入し、J2リーグが新たに発足。地方を中心に多くのJリーグクラブが全国各地で誕生する事となった。
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